できないということ

私と友達がトランペットを吹けないとします。

二人で一緒に音が出せるように頑張ろうね、と言って毎日練習しています。

周りの友達はみんな吹けるようになっていって、吹けない人のほうが少なくなっていきます。

吹ける人が多くなってくると、「音を出すこと」から「指使いを覚えたりメロディーをなぞったりすること」に練習がシフトしていきます。

私と友達はまだ音が出ないままです。

そんなとき、ぱっと友達が音を出します。

おめでとう、と言いつつ、音が出ないのは私だけになってしまったわけです。

すると途端に、友達は「意外と簡単だったよ。難しく考えることなかった」と言って吹ける側の人間になりました。

もう吹けなかったときの気持ちや焦りなんかはなくって、次のステップに進んでいきます。

どうやって吹けるようになったの?と私がいくら聞いても、実際のところ分からないから

教科書に載っているような実践的でないアドバイスばかりを、さも、全て分かったかのような態度でしてくるのですが

本人も教科書通りにやったから音が出たとは限らないわけです。

それどころか、いつまでたっても音が出ない私のことがだんだん腹立たしくなってくるでしょう。

そして、音が出せる人たちの中に入っていって、もう音が出なかったことなんて忘れていくんです。

音が出せない人のほうがおかしいんです。

自分でもそう思います。

 

多分トランペットに向いていないとか、やり方が間違っているとか、そういう外から見たら単純なことなんでしょうね。

でもそれをアドバイスできる人は少ないし、私の近くにはいません。

というか、多くの人はそれを自分で気付いていくし、自分で気付かなきゃいけないんです。

気付けない自分が悔しいです。